横浜美術館で中平卓馬氏の写真展が始まったのは10月4日。

いままでずっと、行かなきゃ行かなきゃと思っていた。今日の天気予報は雨。写真展見学にはちょうどいい天気だと思った。昨夜は遅く寝たので遅い朝飯を食べたあと、のろのろと出かけることにした。東横線で桜木町まで。もうすぐ横浜-桜木町駅間は廃線となる。

そういえば横浜美術館に入るのは初めてだった。入場料1000円を払ってエスカレーターを昇った。常設展も見られるそうだ。
写真展は大きく3つに分けられて展示されていた。氏が病に倒れた後に撮影された写真群。マガジン・ワークとして残された作品群。そして、今回のメインといっても過言ではない初期作品、オリジナルネガからプリント群である。写真展の配列は最初に近作が並び、後に行くほど初期作品に遡っていくようになっていた。

順列通り、近作から見始める。縦位置で撮影されたカラー写真。歩きながら見ていくと一度も立ち止まることなく通り過ぎてしまった(^^;。新たなる凝視のセクションではプリントされたままという感じの八つ切りモノクロプリントが壁一面に敷き詰められていた。他の方は見入っていらしたが、残念ながらワタシは途中で見る気がしなくなった(^^;。
次のコーナーへ行こうとしたとき、会場の廊下で帽子をかぶった少し猫背の老人がワタシの目の前を通り過ぎた。肩からは長いズームレンズの付いたMFカメラが下がっていた。しばらくしてからあの方が”魚顔”の中平氏だったんだと気が付いた。

最後の「来たるべき言葉のために」のコーナーにさしかかった。うーむ。やはり初期作品はいい(^^)。こういう直裁な感想が出るのは、たぶんワタシが60年代生まれだということも関係しているとは思う。それでも、先日見た森山大道氏の回顧展を見、森山氏の著書の中に”親友”として登場した中平氏の作品をこうして見て、やはり彼ら二人に写真を撮らせたのは、ある種異常ともいえる60年代という時間だったんじゃないか、という気がしてきた。予備知識なしで両者の写真をランダムに並べられたとしたら、森山氏と中平氏の写真に区別を付けるのは難しいように思える。
何度も立ち止まり、じっと見つめる作品があった。心にざらついた感触が残った。雨の公衆電話ボックス。

あの時期、時代は二人の写真家に自身の姿を撮らせたのではないだろうか。

図録を1冊買って会場を出た。