天気はあまりよろしくない。1日曇り空の予報。 愛書会展の荷造りの続きなどをしているうちに1日が過ぎた。夕食は「1日煮込んだ」というスペアリブの入ったカレー。あんまり煮込みすぎて「骨も肉もボロボロに溶けちゃった」らしい。うまかったなぁ。 夕食後、仕事に区切りを付けてから半分だけ見るつもりで昨日借りてきた「世界の中心で、愛をさけぶ」を見始めた。小説本は史上最高のベストセラーを記録したという。それだけ沢山の人に受け入れられたストーリーとは一体どんなものだろう。そんな興味もあった。 結婚を控えた朔太郎という青年の現在と過去を行ったり来たりしながら青春時代の忘れがたい恋愛が描かれる。実質的主演は森山未来、長澤まさみの二人。たんたんとしたトーンの語り口。とてもプラトニックな関係性はいまや”貴重”に感じられるが、舞台を四国ののどかな風景に設定することで自然に受け入れられるものにしている気がする。 突如襲う死の病。避けがたい運命の前で二人の愛は純度を増す。わずかな明日への希望。それがアキにとっては思い出の島で拾ったカメラに写っていたオーストラリアの風景だった。 家族も病院も「なにもしてあげられない」。としたら、せめてその風景を見せてあげたい、とサクは思い詰める。そんな想いとうらはらに台風が四国に接近していた。 ワタシにとって青春なんて、こっぱずかしく思い出すだけで鳥肌の立つような記憶ばかり。しかし、そんな青春の真っ只中で生涯を終えてしまうとしたらそんな悠長なこと言っていられないだろう。 ラストシーンはアキが言っていた”世界の中心”たるオーストラリアの広大な風景。空撮で引いた絵のバックに平井堅が流れ、映画は終わった。ストーリーに奇抜さなどはほとんど感じなかった。むしろ古いタイプの映画だったのではないだろうか。ならばこのストーリーが受け入れられたのはどうしてだろう。時代が新しさばかりを求めて突き進み、こういった純然たる人の想いのようなものに関心が行かなくなっていた反動なのではないだろうか。 最近目新しさや刺激を売りにしたハリウッド映画に興味が向かなくなっている。こういうストーリーの小説・映画がほかならぬ日本からまだ生み出されていることにホッとした気持ちになった。 結局は全部見てしまったな・・・。外は真夜中の雨。2005-03-22.jpg