曇り空。今度の連休は天気が悪いらしい。 まあ先週天気がよかったからねぇ。今週はいいんじゃないスか?と、別に出かける予定のない気楽さが言わせる。仕事があってこその遊びですからね。多すぎても困りますよ(^^;。 で、いつものように昨日撮ったトリビアを見ながら朝飯。今回は拡大版。ムダ知識というのは確かに本当で、番組が終わるとキレイに忘れてしまう。確かに知らなくても生きていくにはまったく関係ない内容なのだ・・・。 先日来見続けている「タイガー&ドラゴン」を今日も見ていて気が付いたこと。描かれているのはほとんどが日常風景だ。劇中で出てくる落語も題材は庶民の生活から取ったお話で日常の延長線だ。そのいつもの日常にふと色が付く瞬間がある。それがお話となる。どんな話でもあくまで日常を出発点にしているところがリアリティを生んでいるような気がする。 小虎は実際に自分が体験したことを古典落語になぞらえて自分のものにした。落語はもう立派なフィクションで実際にあった話かどうかは分からないが、誰にでも(自分にも)起こりうる話のように仕立てるところに人を惹きつける秘密があるような気がする。 言い方を変えよう。自分の毎日の生活は似たようなことの繰り返しで一見つまらないもののように思えるが、実は他の人からは「毎日そんな出来事に囲まれてうらやましい」って思われていることだってあるんじゃないか、ということだ。人から見られてうらやましがられても自分がつまらなければそれまでだが、楽しさに気づかないだけなのかもしれない。 自分の日常は落語になるくらいおもしれえ、と小虎が思ったかどうかはしらないが、ワタシが毎日日記を書いておくのは日常こそが最も稀有な日々だと思うから。何も変わらないように見える毎日だって、10年も積み重なればすべてが変わっている。自分が10歳トシをとることはアタリマエだが、自分の周りも10年歳を取る。そして時代は10年分前に進んでしまっている。 辛かった時間は早く忘れたい。でも楽しかった記憶も時間が経つに連れて甘くあいまいになってしまう。自分の身の回りにある日常を見直せ、というテーマが「タイガー&ドラゴン」には隠されている気がした。 夕食のときに昨日買った4種類の酵母ビールをひとつ飲む。銀色はかなりすっきり味だった。 250922.jpg