ばら苑を下りて生田緑地を目指す。岡本太郎美術館へ行くつもりだ。以前来たのは2003年の4月。そろそろ来たいと思っていたのだった。歩いている途中のコンビニに寄って水を買う。そこにあったチラシを息子が取ってワタシに見せた。「北大路魯山人と岡本家の人びと」展とあった。なかなか面白そうな企画展だな。歩く足の速さが自然に早くなった。 生田緑地へ入るための駐車場待ちのクルマが行列。クルマで来なくてよかったな、と思いつつ、民家園の横の道を上がっていく。この緑地は川崎市北部の文化的施設を集積した場所で、日本民家園、プラネタリウム、岡本太郎美術館があり、休日はいつも人がたくさん来る。なかでもプラネは話題のメガスター2が導入され、東京と違って格安料金で見られる穴場となっている。 岡本太郎美術館は杉木立を抜けた生田緑地の最深部にある。 北大路魯山人は岡本太郎の祖父で書家の可亭に内弟子として入り、2年間ほど岡本家に住み込んだらしい。そういう縁で岡本太郎とは家族のように親しく交流している。昭和30年には青山岡本邸において「実験茶会」なるものが開かれ、その様子が写真も交えて紹介されていた。裃姿で自分の点てた点前を自分で飲む太郎さん。確かに実験的ではある(^^;。そもそも茶道などの芸事は修行によって家元と同じことが出来ることが最良とされ、それが伝統と言われた。岡本太郎が強く主張する”芸術”は古いものを打ち破ってこその価値であり、そもそも両者は相反するものである。 常に革新していくことを生きることと同義とした岡本太郎さん。誰にも似ていないそのアヴァンギャルドな作品のカラーは見る者を常に試す。「これでいいんだ」と大いに勇気付けられる人も居るだろうし、「このままじゃだめだ」と打ちのめされる人も居るだろう。でも、おおよそこれだけエネルギッシュな氏の作品からは生きる力を授けてもらえるのではないだろうか。 ミュージアムショップで図録と本を買って外に出た。母の塔の前で今日も記念写真。疲れた疲れたという娘をなんとかなだめながら向ヶ丘遊園駅まで歩く。1駅だけ乗って登戸から南武線に乗った。お疲れ様。 18時半から隣でワタシの慰労会をオヤジ主催で開いてもらった。一渡り料理を平らげた後に「上寿司を6人前」頼んだところ、店員さんがあわてて何度もオーダーミスじゃないかと確かめに来た。大丈夫、全部食べますよ(^^)。オヤジは酔っ払った勢いで息子に戦時中のいろいろ大変だったことを語る。それを黙って頷きながら聞く息子だったが、どうして戦争だったのか、とか、どこと戦っていたのか、など基本的な情報がないオヤジの話でいったい何を理解できたものか・・・(^^;。ただ単にとにかく大変な時代を過ごしてきた子ども時代の”想い”だけを伝えたいらしい。・・・でもそれじゃ伝わらないね、残念ながら。 お腹いっぱいで明日への勇気も湧いてきた。 2510232.jpg