快晴。布団干し。店舗定休日。

朝飯を食べながら録画しておいた金八先生。さすがにこの時期卒業式の話を見ると妙な感じがする。彼らは卒業式に対してものすごく思い入れがあるようだったが、ワタシはあまりしっかりと覚えてない気がするなぁ・・・。なんでだろう。あまくぼやーっとした印象しか残っていない。この間会った中学の時の同級生ともあまり昔の話はしなかった。皆さん”今”が充実していらしたのかもな。

午前中いっぱい荷造り作業を鋭意。いつもお買い上げありがとうございます。午後は先日行われた全古書連大市会の落札品で拾いそこねた荷物を取りに出た。まったくなさけない(^^;。

往復の車内では「坂の上の雲」を読み続ける。
秋山好古はフランスへ留学することになった。ところが、その間に普仏戦争が起き、フランスは敗北する。その結果を見た陸軍は山県有朋の命でフランス式だった軍隊形式をドイツ式に改めることになった。ドイツ式は常に敵の最重要拠点のみを集中して攻撃するという大変合理的な考え方だった。ただし、その中で騎乗だけはなんとも不自然な方法を採用しており、騎兵の責任者であった好古はこの点だけはドイツ式を採用しないように山県有朋へ申し入れている。
秋山真之は兄好古がフランスへ留学する前に自分の進路を兄に相談した。好古は海軍を勧め、真之は大学予備門を中途退学して海軍へ進んだ。このまま学問を修めてもこの道で自分は日本一にはなれそうもない、というのが転進の理由だった。精神が若い。
正岡子規は東京で肺結核に罹り、なんとか予備門を卒業したあといったん松山へ戻った。学問の道を進みながら文学の道へ進むことに多少の抵抗感と罪悪感を感じたようだったが、句作をつづけていくことにした。また、子規は大の野球好きで、野球を松山に持ち込んだのは子規なのだそうだ。

一人で持つには重すぎる荷物を背負い、手提げで持ちながらの帰り道はちょっとつらかった(^^;。それでも読書の時間が取れたからよしとするか。

店に戻ってお茶を飲んでいるとオヤジが入ってきた。今日は高尾山へ行ってきたらしい。そりゃ天気が良くてよかったね。晴れ晴れとした顔をしていたから、どうだった?とも聞かなかった。よかった、と顔に書いてある。店に座っているときにあんな顔は絶対しないから。

夕食後はオークション落札品のメール書き。終えてからランニング。
10694歩 6.41km 90分 556.6kcal 19.9g
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